タグ:プロレス

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    1: 芸能おkがお伝えします@\(^o^)/ 2017/12/21(木) 10:50:54.79 ID:CAP_USER9
    「東洋の神秘」ザ・グレート・カブキが12月22日、後楽園ホールで引退する。

     高千穂明久(米良明久)は1948年日本生まれだが、ザ・グレート・カブキは1981年にアメリカで誕生した。

     このカブキがブレークしなければ、その「息子」であるザ・グレート・ムタ(武藤敬司)も現れなかっただろう。

     
    (以下ソースで)
    ナンバー
    https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171221-00829543-number-fight
    画像 額の傷から鮮血が噴き出る……カブキとムタの戦いは、忘れられない死闘となった。 photograph by Essei Hara
    https://amd.c.yimg.jp/amd/20171221-00829543-number-000-1-view.jpg
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    1: 芸能おkがお伝えします@\(^o^)/ 2017/12/04(月) 22:25:31.12 ID:CAP_USER9
     グレート・ムタが来年1月19日(日本時間20日)に米カリフォルニア州で開催される
    米国プロレス団体PCW ULTRA大会に参戦することが4日、分かった。対戦相手は後日に発表される。

     2周年記念大会のゲストで登場して花を添える。89年にNWA入りして米国マットに初登場し、
    以降も人気を誇っている。(デーブ・レイブル通信員)

    12/4(月) 21:05配信 日刊スポーツ
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171204-00069396-nksports-fight
    画像
    グレート・ムタ
    https://amd.c.yimg.jp/amd/20171204-00069396-nksports-000-2-view.jpg
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    1: 芸能おkがお伝えします@\(^o^)/ 2017/10/30(月) 14:54:12.29 ID:CAP_USER9
    2001年から07年まで参議院議員を務めた大仁田厚。
    国会議員として活動する一方でプロレスラーとしても2度に渡り「引退宣言」と「現役復帰」を織り交ぜながらリングに上がり続けた。

    そんなプロレスラー大仁田にとって自らが産んだ団体が消滅する時が来た。
    02年2月。89年10月に旗揚げした「FMW」が3億円の負債を抱え倒産したのだ。

    悲劇は続く。旗揚げ時から2度目の引退までリングアナウンサー、マネージャーとして支えてくれた
    社長の荒井昌一が5月16日、自殺した。36歳の若さだった。
    荒井は亡くなる前の4月に「倒産FMW!カリスマインディープロレスはこうして潰滅した」(徳間書店刊)を出版していた。

    著書には、負債を返済すべくいわゆる「闇金」にまで手を出していた壮絶な内部事情。
    そして、大仁田が95年5月の引退から復帰したことで、団体が混乱したことなど荒井の視点で書かれていた。
    当時、大仁田は、この本についてほとんど語ることはなかった。

    「オレは何も言わないでおこうと思った。ゴチャゴチャ言う人もいるけど、昌ちゃんは、一生懸命にフロントとのトップとして
    選手にギャラを払おうと資金を調達していたけど、結果、それがうまくいかなった。ただひたすら、一生懸命だったんだと思う」

    団体の運営も引退後に大仁田の指示で荒井が新会社を設立し、復帰した時のビデオの権利など金銭面での介入も書かれた。

    「会社は、株をオレが53パーセント、荒井が47パーセントっていう比率にして、そのまま継続していた。
    新しい会社を設立したのは、オレを追放してから。経理は、オレの母親の夫、つまり義理の父親が担当していた。
    オレ自身は金には無頓着な男で、金についてはすべて義父に任せていたからよくわからないっていうのが本当のところ。
    引退した時に川崎球場での収益から3000万円をレスラーからの退職金という形でもらったけどそれ以外は、オレがもらったことはない」

    復帰も大仁田がミスター・ポーゴの引退という仕掛けからリングに戻ることを提案したとされた。

    「ポーゴさんの引退っていう話がまずあって、その時に荒井から“この試合は大仁田さんしかいません”って言われて、それで復帰することになった」

    FMWは、98年4月にCS放送の「ディレクTV」と契約した。放映権料は年間6000万円で安定した収入を確保したことで団体の運営は、順調にいくかと思われた。
    しかし、2000年2月に同局が事業中止となり、一気に資金繰りが厳しくなった。

    「ディレクTVとの契約にオレは一切、ノータッチだった。ただ、あの契約金は一体どこへ行ったのかと思うよ。
    あのころ、保坂秀樹が、フロントのある人間が財布を開けたところをみたら、札束が入っていたのを見て、
    “この会社はどうなっているんだ”って思って、それで嫌になって退団したって言ってた。
    選手は1試合1万円ぐらいのギャラでフロントがそれだけの札束を持っていたらそりゃ、やってられないと思うだろう」

    (続きます)
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171030-00010000-spht-fight&p=1

    2: 芸能おkがお伝えします@\(^o^)/ 2017/10/30(月) 14:54:44.94 ID:CAP_USER9
    (続き)
    大仁田は98年11月に追放された。
    「その後、昌ちゃんは、自分たちで会社を設立した。FMWっていう名前を使うことに異議を唱えることもできたけど、
    そんなことはしたくなかったし、オレの中では追い出されたことで、“もういいや”って思っていた。
    あのころ、オレの目から見たら、昌ちゃんは、オレのことを排除したい周りの誰かに乗せられていたと思う」

    その後、2001年10月にエースのハヤブサが試合中の事故で欠場に追い込まれた。看板選手を失った団体が倒産したのは、それから4か月後だった。

    「オレがFMWを潰したとか、ハヤブサがケガをしたのもオレのせいだって言う人がいるけど、
    ケガした時も倒産した時もオレはとっくに追放されていなかったわけだからね。
    ハヤブサにはオレの後のFMWを託したし、彼が“全日本に上がりたい”って頼まれた時に、
    馬場さんの所へ行って頭を下げてお願いしたこともあった。
    オレなりに彼のために最善は尽くしてきた。ただ、言えることは、昌ちゃんに大仁田厚を利用するぐらいの器量があれば、展開は違っていたかもしれない」

    あの本をきっかけに一部のプロレスファンが大仁田を見る目は、とりわけ厳しくなった。

    「オレのイメージが悪くなったって言っても、昌ちゃんとしてみれば、本を出すならオレのことを書くしかないよね。
    書く以上は、オレのことをコケにしないと売れない。だから、しょうがないなって思うだけ。
    言いたいことは、みんな、プロレスが好きなんだよね。その中でそれぞれが自分の立場や考え方で一生懸命にやっていた。そういうことだったと思う」

    荒井の自殺を今、どう思うのか。
    「死ぬことはなかった。そして、オレは荒井昌一という男が本当に好きだった」

    昨年3月3日。ハヤブサが47歳で亡くなった。リング上での事故から懸命に復帰を目指した中での悲報だった。

    「人はいつどうなるのか。何が起きるのか。最後にはいつ死ぬかなんて誰にも分からない。人生は一度。
    だから、後悔しないようにその時その時を精いっぱい生きるしかない」
    1

    (記事終)

    【【プロレス】大仁田厚、荒井昌一社長の自殺を振り返り「昌ちゃんは死ぬ事なかったし、俺は昌ちゃんが好きだった」  FMV倒産、直後自殺騒動・・・ 何故大仁田厚だけが生き残ったのか】の続きを読む

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    1: 芸能おkがお伝えします@\(^o^)/ 2017/10/27(金) 22:23:48.45 _USER9
    ◆ドラディション「スカイハイ・ドラゴンツアー」(27日・後楽園ホール)観衆1212

    【写真】記念撮影する藤波辰爾、初代タイガーマスク、ミル・マスカラス、武藤敬司

     プロレス界の“レジェンド”藤波辰爾(63)が、“仮面貴族”ミル・マスカラス(75)、武藤敬司(54)と夢のトリオを結成し、
    ザ・グレート・カブキ(69)、新崎人生(50)、KAZMA SAKAMOTO(35)と対戦し、マスカラスがトップロープからの
    ダイビングボディアタックでSAKAMOTOを抑え、勝利した。

     75歳のマスカラスが空を飛んだ。5分過ぎだ。SAKAMOTOをロープに振ると、フライングクロスチョップを連続で披露。
    75歳とは思えない華麗な空中殺法に満員の後楽園ホールがどよめきと歓声に包まれた。

     今回、藤波が掲げたテーマは「夢のオールスター戦再び」。1979年8月26日に日本武道館で行われた全日本、
    新日本、国際の3団体が一同に介した「夢のオールスター戦」で藤波とマスラカスは、ジャンボ鶴田とトリオを結成し、
    マサ斎藤、高千穂明久、タイガー戸口と対戦。藤波、鶴田、マスカラスが繰り出したトリプルドロップキックの編隊飛行は、
    今でも語り継がれる伝説のシーンとなっている。

     当時を再現すべく藤波は、マスラカラス、武藤とトリオを結成し、オールスター戦で対戦した当時、
    「高千穂」だったカブキに人生、KAZMA SAKAMOTOが組んで38年前を彷彿とさせるマッチメイクを実現させた。

     試合では武藤の足4の字固め、藤波のコブラツイスト、マスカラスのコブラツイストの競演も見せた。
    最後は、マスカラスがトップロープに昇り、ダイビングボディアタックでSAKAMOTOをフォール。
    「素晴らしいファンの前で最高の試合ができて幸せだ」と仮面貴族は声を弾ませた。

     試合後は初代タイガーマスク(59)が登場し、藤波、マスラカス、武藤とリング上で記念撮影。
    昭和プロレスを支えたスターが集結する奇跡の1枚が実現した。マスカラスと抱き合ったタイガーマスクは
    「マスカラスさん。あなたが私の憧れでした。あなたがいたから私がいます。いつまでもお元気でいてください」とエールを送った。

     38年前のオールスター戦の再現という思いがかなった藤波は「夢が実現して本当にうれしい。また、
    ビッグネームを連れてきます」と来年も昭和プロレスファンが心を躍らせるマッチメイクを組むことを約束していた。

     「スカイハイ・ドラゴンツアー」は29日に大阪南港ATCホールで開催。藤波、マスカラスに長州力(65)が加わり、
    カブキ、越中詩郎(59)、AKIRA(51)と激突する。大阪では長州とマスラカスがどんなハーモニーを奏でるか。
    「どんな展開になるか私も楽しみ」と藤波は胸を躍らせていた。

    10/27(金) 21:39配信 スポーツ報知
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171027-00000230-sph-fight
    画像 フライング・ボディ・アタックを決めるミル・マスカラス
    https://amd.c.yimg.jp/amd/20171027-00000230-sph-000-1-view.jpg
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    【【プロレス】藤波辰爾(63)、ミル・マスカラス(75)、武藤敬司(54)が夢のトリオを結成!! 75歳のマスカラス、フライングクロスチョップを披露】の続きを読む

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    1: 芸能おkがお伝えします@\(^o^)/ 2017/10/11(水) 20:40:44.80 ID:CAP_USER9
    アニマル・ウォリアーが来日しキラー・カーンと30年ぶり再会

    1980年代にザ・ロード・ウォリアーズとして日米で爆発的な人気を集めたプロレスラーのアニマル・ウォリアー(57)が11日、
    東京・新宿区の「居酒屋カンちゃん」で、かつてのライバル、キラー・カーンこと店主のカンさん(70)と30年ぶりに再会した。

    久しぶりに来日し、高松、京都、福島などを訪れたアニマルは「どうしてもカーンに会いたい」とリクエストし、カンさんが営む
    居酒屋で、チームフルスイングがファンイベントを企画した。2人が会うのはカンさんが現役だった1987年以来30年ぶり。
    1985年3月に初来日し、両国国技館でジャンボ鶴田&天龍源一郎の鶴龍コンビと対戦。同月にアニマル&ホークの
    ウォリアーズが、キラー・カーン&長州力を相手にAWA世界タッグ選手権を防衛した試合も名勝負として語り継がれている。
    「140キロのカーンをリフトアップしたのを思い出すよ」

    ホークは03年に46歳で亡くなっているだけに、単身での来日が続いている。アニマルは「セミリタイアだけど、まだ現役だ。
    次に日本に来る時は試合をしたい」と腕や胸の筋肉の張りを誇示した。「長州、鶴田、天龍、輪島、馬場サン…もちろん
    覚えてるよ。天龍、カンさんは強かった。相撲出身だからな」と懐かしんだ。カンさんは「ホークは亡くなる前までは
    よく会っていたけど、アニマルは本当に久しぶり。店をやっていてよかったよ」と喜んだ。アニマルは12日に帰国する予定。

    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171011-00000213-sph-fight

    画像
    https://amd.c.yimg.jp/amd/20171011-00000213-sph-000-4-view.jpg
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